Blog18.なぜ「ひぼう中傷」するのか(後編)
今回は、前編に引き続き「ひぼう中傷」が起こる理由を脳科学者の中野信子氏の「人はいじめをやめられない」より考えていく。最後に「ひぼう中傷」を止める方策をまとめたい。
<目次>
2-2. 脳科学者の中野信子氏の書籍より
3.「ひぼう中傷」しないためには、どうすればよいのか?
4.さいごに
2-2. 脳科学者の中野信子氏の書籍より
「いじめ」は脳の働きによるものなので、ゼロにはできないという。脳科学者の書籍を次に示す。
中野信子著『ヒトは「いじめ」をやめられない』小学館新書、@780円(税別)
次は、私が本書より「ひぼう中傷」との関係で理解した内容を示す。
1) 脆弱な人間が、生存するために「集団」をつくった
2) 「集団」を維持する時の脅威は、内部から集団を破壊してしまう者の存在だ。そのリスクを回避するために、共同体にとって邪魔になりそうな人物を見付けたら制裁行動を起こして排除しようとする
3) 「向社会性」が強まり過ぎると、その反動として、危険な現象が表出することがある。それは、「排除しなければ」という感情に伴う行動、つまり発動すべきでない時にも発動してしまう時に起こる現象。例えば、a.ルールを知らない人、b.体が小さいために皆の役に立たなそうに見えてしまう人、c.ちょっとだけ生意気な人、d.常識と違った格好をしている人、e.可愛さが少し目立つ人、など皆の標準と少し違う人に向けて、制裁感情が発動してしまう。これを過剰な制裁といい、「いじめ」が発生してしまう根源である。
4) これらの現象は、人間が有する脳内物質「オキシトシン」「セロトニン」「ドーパミン」が強く関わっているという。いずれも人間が生存するために起こる現象なのだ。(解説は省く)
1),2)項は、前編2-1項の「ムラ社会」の存続手段と同じことである。
もう少しまとめてみると、
① 「いじめ」「ひぼう中傷」は、集団が存続するための要件の一つである(※2-1と同じこと)
② 人権を深く考えずに成り行きで生きていると、「いじめ」や「ひぼう中傷」をなくすことは容易ではな
い(できないに近い)ということ
③ 理性のある人間とて、煩悩の台頭に負けることがある。また周りに賛同者がおらず無勢(孤立)するとな
おさらである
④ したがって、「いじめ」や「ひぼう中傷」をゼロにはできないということ。しかし、減らすことはでき
る。
3.「ひぼう中傷」しないためには、どうすればよいのか?
二人の専門家の知見を整理してみると、問題の本質が少し見えてくる。明確にいえることは、成り行きで生きる集団は「ひぼう中傷」を止めることは容易ではない。もう一つ、文明社会においては倫理的にある程度は抑制されているといえる。
さらに抑えるとなれば、集団を構成する人々による努力が必要になる。「ひぼう中傷」の支配的要因は、長い時間に培われた「ムラ社会文化」と人の脳が「報酬を求める」ことにある。理性のある人間であれば、ある確率で抑制することは可能であろう。さらに抑制するとなれば、次に示すことが必要となろう。
① 自分自身を拘束している“思い込み(ムラ社会の掟、人の顔色を見る)”を捨てる(断ち切る)
② 「ひぼう中傷」が問題だと考えるならば、そのことを本音で語り合い、問題の本質を共有化することで
理解が進む
※「ムラ社会」のネガティブな点を排除していく。この種の問題は、多くの人は公に語られないので共有
化は難しい。だから改善が進まない。
③ 狭いムラ社会を出て、視野を広める(世界の色んな人たちの文化を知る)
④ 日本人の「人に尽くす文化」から「自分のために生きる文化」へある割合を切り替える
⑤ 「ひぼう中傷」が起こる理由(ムラ社会のこと、人間の脳の働きのこと)を知り共有化する
⑥ 人としての“理性”を保ち、抑制が必要な場面(複数の人達が集まった会議)では、堂々と過ちを指摘し、
人権侵害行為に対する抑止行動をとる
このようにして、「ひぼう中傷」が起こる本質を押さえると、ある確率で減るであろう。でも改善は一気に起きることはなく時間がかかる。恒久的には、時間をかけて生活文化をつくる必要がある。
4.さいごに
私は今年、地区の人権推進会長を担当している。これまでの人権活動を見ていると多くの行事が見事に形骸化に陥っている。だから人権問題の多くは改善されることなく堂々巡りしているのだ。このように、活動する中で、一番の問題が直ぐに分かった。それは行政が旗振りという形をとるが、地区の皆さんは「人権啓発活動」に参加できていないということである。
何が起こっているかというと、次の通りである。
① 全ての行事は行政がお膳立てする
② 行政が企画することを地区の皆さんは仰々しく行う、会議はお葬式のように行う。人権の活動でありなが
ら、人権に関する議論は皆無である。行政の関心ごとは、決まった行事を時間内に済ませることにある。
従って、この活動の目的は、「国(法務省)や滋賀県に**市もやっているよ!」と報告することにあるよ
うに感じられる。だから、議事録は決められたことを記載するが、参加者の意見、人権の議論に関する
一番重要なことは記録されない。活動の振り返りなどはもってのほかである。
③ 地区の人達は、歴代語りの会合に慣れていないこともあり、語りの会合は嫌がられる。それで行政は、活
動と称して一方通行の講座や講演を企画する。しかも企画に参加するのは元々心ある少数の方達ばかり
である。しかし、行政にとり、そんなことはかまわない。活動の成果は参加人数で、頭数が整えばそれで
大成功となる。
④ このような活動をするので、何年たっても改善は皆無である。形式的な行事を粛々と行い、予算の必要経
費を使う。何ら成果はなくても構わないのだ。見るからに、昔の「ムラ社会の運営」のように感じる(※
当初のムラ社会は、村が生き残るための、命がけの活動であった。今は単なる儀式である)
今もなお、人権という名のもとに恐ろしい行事が平然と行われているということだ。
今年2021年度は、風穴は無理としても、市民の皆さんに一石を投じる予定だ。
以上
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