前編で「ドイツと日本の生産性の違い(ドイツの生産性は日本の1.5倍、ドイツの労働時間は日本より350時間短い)」を示し、その違いの下である文化の違いを3点(労働観、生き方、連携の仕方)示した。
中編では「日本はなぜそうなのか」について、中根千枝著「タテ社会の人間関係」より分析した。「ムラ社会」の話である。
後編の今回は「日本はなぜそうなのか」について、自然災害大国にありながら「自然災害に備えない日本人」より分析する。さいごに「日本はこれからどうするのか」を考えていく。
<目次>
2-2.日本人はなぜこうなの?
2-2-1.中根千枝著「タテ社会の人間関係」より分析
2-2-2.自然災害から日本文化を分析
2-2-3.ドイツと日本の生産性の違いの訳
3.日本人の「自立」を目指して
4.さいごに
2-2.日本人はなぜこうなの?
2-2-1.中根千枝著「タテ社会の人間関係」より分析
Blog20ドイツと日本の生産性の違い(中編)で分析した。(略)
2-2-2.自然災害から日本文化を分析
私自身2016年から日本防災士を認証し、防災活動に携わってきたのだが、皆さんの防災行動から納得できない疑問があった。それは、自然災害大国にありながら「自然災害に備えない」人達と「自然災害時避難しない」人達が多いことである。
つまり、ドイツ文化と異なり「自分のために生きる」考え方が希薄なのだ。これも日本文化に根差した特徴の一つではないかと考え、その訳を考えてみた。
1)日本の自然災害を振り返る
毎年のように起こる自然災害について、自然災害大国日本に住む人々が自然災害にどう向き合っているかを考えていく。
日本は、次の通り自然災害大国である。
- 地震:3つのプレートが日本のユーラシアプレートの下に入り込んでいて地震常習国となっている。歴史的に 大地震が繰り返し起こっている。
- 台風・豪雨:毎年東シナ海やインド洋からの湿った空気が偏西風に流され日本にやってくる。近年、その台風や豪雨が地球温暖化の影響(海水温の上昇)により膨大な水蒸気を作り、日本に豪雨をもたらし河川が氾濫することで被災している。
日本に必ず襲ってくる。そして沢山の人々が毎年亡くなっている。習慣の様に起こる自然災害にいとも簡単に命と財産を奪われているのである。阪神淡路大震災のように、活断層の存在が知られていないケースは別としても、再発している事例は日本人の知恵で減災は可能なはずである。
次頁に示すグラフ(ここに示す)は、戦後1945年~2013年の自然災害による死者数・行方不明者数の推移である(日本防災士会の研修会で得た資料)。
このグラフが言わんとすることは、
① 1959年の伊勢湾台風(死者5,098人)と1995年阪神淡路大震災(死者6,437人)の35年間、災害死者数がすくないこともあり、国は災害を抑止できたと読んでいた。
② 1995年に阪神淡路大震災が起こり、それまでの「抑止した(防災した)」を撤回し、「防災はできない」として、活動を「減災」に切り替えた。
③ 1995年の阪神淡路大震災が契機で日本国の地震研究が進んだ。例えば、地震が起こる機構の研究、活断層や表に現れない断層の調査、地震予測の研究など。
ということである。日本国に住む人々にとり極めて重要な振り返り情報である。
私は、2016年から防災士としての防災活動を行ってきたのだが、日本が自然災害大国にありながら日本人の自然災害に備える行為が緩慢であることに疑問を抱いてきた。その背景にある事象を二つ上げたい。
一つ目は、上記の情報を含めこれまでの情報が国民に届いていないことである。本来、 人の生死にかかわる事なので、内閣総理大臣が国民に伝えればよいことであるが、できていない。
二つ目は、国民が「自分の命は自分で守る」「自分の財産は自分で守る」考えと行動が希薄なことである。
本来、この二点が自然災害大国に住む人々の命綱であろう。ところが、二つとも充分に機能していないのだ。
2)自然災害に備えないのは何故か?
特に後者については、どうしたらよいのであろうかと悩んでいた時、防災士の関係で 21世紀WAKAYAMAの巻頭言に河田惠昭氏(関西大学社会安全学部長・教授、南海トラフ巨大地震検討ワーキンググループ座長)の記事に出くわした。タイトルは、「津波避難と自助・共助・公助、そして“弱い”民主主義」である。津波避難をせずに命を失うことに対しての見解である。次に一部を引用する。
「災害で命をなくさないのは自己責任の原則である。これは、民主主義の大原則でもある。」「フランス
の哲学者ジャン・ジャック・ルソーは1789年のフランス革命勃発に 大きな役目を果たしたと言われる
『社会契約論』の中で、本当に自由な国では万事自分の手で行い、何一つ金屑では済まされないと主張
した。欧米先進国の民主主義は国民の “血と汗の結晶”である。そして、我が国は太平洋戦争敗戦の結果、
半ば強制的にそれを輸入した。つまり、押し付けられたのである。従って、制度は民主主義に改まったの
であるが、その精神は置き去りにされ、その状態が現在も続いているような気がする」
全く同感である。日本人には主体性を醸成する文化づくりが必要なのだと理解した。 北欧のスウェーデンやデンマークは、長く苦しい歴史を経て国民が自立的に「民主主義」を確立している。この様な文化を我が国が物まねでできるものではない。
まして、我が国は2-2-1項の中根千枝著「タテ社会の人間関係」に示す通り、「ムラ社会」に安住しているので、「民主主義」(自分のために)への挑戦はとてつもなく高い ハードルになっていると言えるであろう。
2-2-3.ドイツと日本の生産性の違いの訳
ドイツとの生産性の違いは、日本人の「自立性」の弱さにありそうだ。自立の弱さは、「ムラ社会依存」と「民主主義の遅れ」が上げられる。
これが現段階における私の意見である。今後もう少し進化させていく予定である。
3.日本人の「自立」を目指して
前項2-2-2の自然災害問題こそ日本人が避けて通れない難題である。
しかるに、日本国民はこの難題の解決に取り組むべきであろう。この危機的状況をうまく利用して「自立」文化を経て「民主主義」文化に近づけるのが良さそうだ。
私は、その施策として、次の四点を挙げたい。
一つ目、国民が、日本の自然災害が再発している現実をシッカリ受け止め、自然災害と「共生」する文化を作り上げること ※理屈で理解していく。学校教育も必要だ。
二つ目、「共生」する前提の一つは、自然災害に自ら備える「自助(自ら化)」であること ※家族を助けられるのは主人です。自分を助けられるのは自分です。
三つ目、「公助(公機関による防災)」が機能するように、国民も行政の施策に参加すること ※現在、国民は実質参加できていない。
四つ目、「自助」と「公助」を両輪にして「日本の民主主義」を構築していくこと ※皆で渡れば怖くない「ムラ社会」は危険だ。東北地方の「津波てんでんこ(バラバラに避難)」でいく。一人ひとりが「自立」する「民主主義社会」に向かうべきである。その様な「民主主義」を実現するためにはこの施策が自然であろう。
4.さいごに
中根千枝著に紹介されているように、日本文化は欧米アジアに比べ随分異なるという。今にして思えば、私自身も日本人として72年間日本に住み同様に変わったことをしてきたのだ。品質管理を研究して初めて、変わっている自分と日本人を理解できたということである。
Blog19~21では、中根千枝著「タテ社会の人間関係」を中心に紹介してきたが、他にも「日本人文化」を研究してこられた方がおられるのでBlog22で補足として紹介しておく。その土地に住む人々の文化がどの様に形成されていくかが良く理解できると思う。
日本の行政や企業の文化も基本的には日本人文化が基盤にあるということだ。組織運営に際しては、日本人文化や気質が作り上げられた原点を知ることは意義があると思う。
以上